【悲報】オウム真理教の国家転覆計画、ガチのマジでやばいwwww

1それでも動く名無し2022/09/08(木) 16:35:45.18 ID: ID:WUl9bIu/0

「11月戦争」

1995年1月の読売新聞による上九一色村のサリン残留物スクープ、3月の警視庁による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。
この計画は、「1995年11月に教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、米・露・朝の各軍隊による核戦争を誘発させる。
その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治する」というものであった。

23それでも動く名無し2022/09/08(木) 16:39:53.01 ID: ID:db2/IbgvM

ヒエッ…

2それでも動く名無し2022/09/08(木) 16:35:57.04 ID: ID:WUl9bIu/0

全世界ボツリヌス菌散布計画

1990年3月、麻原は幹部20名ほどを集め、「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」
「中世ではフリーメイソンがペスト菌をまいた。それでヨーロッパの人口は3分の1か4分の1になった。今回まくものは白死病と呼ばれるだろう」
「本来ならばこれは神々がすることであるが、神々がやると残すべき人を残すことができないので我々でやる。オウムの子供たちを残していく」として、
ボツリヌス菌・ボツリヌストキシンによる人類大量殺戮を計画。同年4月に石垣島セミナーを開催し、教団信者が沖縄県石垣島に集まっている間に、毒を散布する計画があったが、培養に失敗、中止された。

3それでも動く名無し2022/09/08(木) 16:36:13.26 ID: ID:WUl9bIu/0

首都圏ボツリヌス菌散布計画編集

1990年4月~5月、皇居、霞が関、米軍横須賀基地、浄水場のある川などにボツリヌス菌・ボツリヌストキシンを散布したが、効果は無かった。
ボツリヌス菌風船爆弾の実験も行ったが効率が悪いので中止された。同年6月には「川に汚物を放流している」として村井秀夫、新実智光が山梨県警察に検挙された。

4それでも動く名無し2022/09/08(木) 16:36:41.98 ID: ID:WUl9bIu/0

ホスゲン爆弾計画

1990年、化学兵器のホスゲンを入れた鞄型散布装置「ホスゲン爆弾」を使って、マスコミ、警察、大阪府などを標的とした無差別テロを行う計画があった。
井上嘉浩は上祐史浩の指示でホスゲン爆弾を持ち歩いていたが実行はされなかった。
第1サティアンや熊本県阿蘇郡波野村(現・阿蘇市)でホスゲンプラントもつくっていたが、国土法事件が起き強制捜査があったため完成せず、1991年(平成3年)には中止された。

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Source: VIPPER速報

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