ぷよぷよ生みの親、売上高70億円の絶頂からわずか一年で「ぷよ」のように会社はじけ人生一転…家賃5万円生活「ぷよの縁」再びゲーム開発の世界に

1: おっさん友の会 ★ 2023/12/11(月) 11:06:12.65 ID:ns07DCKK9
終業後の社内は沸き立っていた。社員たちが深夜になっても帰宅せず、発売間近のゲームソフトに興じている。普段は関心のない女性社員も夢中で指を動かしていた。

1992年12月、広島市のゲーム会社「コンパイル」。初めて見る光景に、社長の仁井谷(にいたに)正充さん(73)=当時42歳=は自信を深めた。「1000年先も楽しめるゲームができた」。それこそが、シリーズ累計で1000万本を売り上げるパズルゲーム「ぷよぷよ」の改良版だった。

落ちてくるスライム「ぷよ」の同じ色を4個つなげて消していく。親しみやすいキャラクターと簡単なルール、消滅が連鎖した時の爽快感は、幅広い世代の心をつかんだ。

 会社の売上高は97年3月期、過去最高の70億円に達する。そのわずか1年後だった。会社は「ぷよ」のようにはじけ、そして消えた。(科学部 林尭志)

●「落ちゲー狙います」社長の宣言から大ヒット
 誰もが知るヒット作は、社長の一言から生まれた。

 「『落ちゲー』を狙います」。1990年夏、東京都内の飲食店。広島市にあったゲーム会社「コンパイル」社長の仁井谷(にいたに)正充さん(73)は、ゲームメーカー幹部に宣言した。

落ちてくる物体を消していくゲームは、「落ちゲー」と呼ばれる。前年に発売された任天堂(京都市)のゲームボーイ版「テトリス」は爆発的な人気を呼び、世界で3000万本を売り上げた。

良い記事ですが、長いので

続きはリンクから
ぷよぷよ


続きを読む
Source: 哲学ニュースnwk

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク