【韓国の妄想】 スーパースター王仁博士、日本へ行く…「クダラナイ」に染み込んだ百済の自負心

1: LingLing ★ 2023/03/25(土) 23:22:15.60 ID:3AtKoPa/
韓流の元祖スーパースター…王仁博士、日本へ行く
-「クダラナイ」にしみ込んだ百済の自負心
-「学問の神」王仁博士息づかい宿る遺跡地
-歴史的人物を抱く鳩林村で癒しを

[霊岩(ヨンアム)=文・写真イーデイリー、キム・ミョンサン記者] 全南・霊岩は韓半島歴史の傑出した人物たちが生まれて活動した場所だ。古代日本に百済の先進文明を伝達した王仁博士が生まれた故郷であり、新羅の4代高僧で風水地理の巨匠でもある 道詵国師(トソングクサ)も霊岩出身だ。朝鮮時代の名筆家だった韓石峰(ハン・ソクボン)もここで学び、壬辰倭乱(※文禄・慶長の役)当時、物資普及で厳しさを経験した李舜臣(イ・スンシン)に軍糧米と軍需品を支援して、感謝の書簡を受けた人々が住んでいた鳩林(グリム)村も霊岩にある。霊岩を語る際、歴史の中の人物を欠いては語れない理由だ。

・「クンナラ(※大きな国)」百済が伝えた元祖韓流
我々が作ったドラマ、映画、音楽など韓流が全世界に広がっている。韓流の人気は日本でも熱い。日本での韓流は思ったよりも古い。日本語にその痕跡が今でも残っている。今から約1500年ほど前。 当時、日本ではペクジェ(百濟)を「クダラ」と読んだ。元来、「ヒャクサイ」と発音するのが正しい。百済の発音はどうして「クダラ」になったか。ここには歴史的背景がある。百済が滅亡した後、多くの遺民が日本に渡った。先進文明を渇望していた日本は、彼らを大いに歓迎した。古代日本で百済は、先進文物の窓口であると同時に新世界だった。世界を併せる交易網を整えていた百済は、輝く文明の種を日本にまいた。先進的な律令体制、土木技術、仏経、鍼術、農機具などがいっぺんに伝播されて、闇の中にあった日本は光明を見ることになった。

日本は渡ってきた百済人たちを高官大爵に就かせるなど、手厚く供応した。百済人たちは失われた祖国を「クンナラ 」と呼び、しみじみと懐かしんだ。日本で「クンナラ」は、「クダラ」に変わって、百済を指称する名前として固まった。「クダラナイ」という言葉もここに由来している。 直訳すると「百済(クダラ)にない(ナイ)」という意味だが、「つまらない、大したことない」という意味だ。「立派なものは全て百済にあるから、百済のものでなければ、つまらない」という話だ。昔、日本の人々が百済を羨望の対象にした痕跡が言語に溶け込んで、現在まで受け継がれているので「元祖韓流」と言える。

・スーパースター王仁の痕跡に向かい合う
百済の代表韓流スターは霊岩出身の王仁博士だ。日本が文明国家に進む道を開いた伝説的な人物で、今でも日本では「学問の神」と仰がれているほどだ。

省略…

イーデイリー(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/018/0005448708


続きを読む
Source: かたすみ速報

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク